なんてものを趣味にしている人はいるんだろうか?
などと、思ってもいないことを活字にするのは置いといて。
市の鳥として「ウミネコ」をシンボルに掲げる気仙沼市。その気仙沼大島では、「カルビーのかっぱえびせん」という商品は、「うみねこのエサ」という手描きの札とともに売られている。
これは、スナック菓子という、それ自体が目的の商品から、「フェリーに乗ってウミネコにエサをあげて愉しむためのもの」という手段へとシフトチェンジしていることになる。
フェリーに乗ってこの「うみねこのエサ」をウミネコにあげていると、ついつい自分も3回に1回ぐらいは食べてしまう。いつしか、ウミネコと私は同じ釜の飯を食らう友になっているのだ。こうなってくるとただのスナック菓子「かっぱえびせん」はウミネコと私をつなぐ「絆」のように抽象的な価値に思えてきてしまう。
ここまでくると「ウミネコ」と「かっぱえびせん」と「私」の境界線はグラグラと揺らいでまさに船酔い状態だ。
しかしそれも一時の熱。ウミネコにエサをあげるのにも飽きてくると、そそくさと袋を丸めてリュックに詰め込む。捨てるのももったいないから家に持ち帰る。ここでは再び食べかけの菓子としての「かっぱえびせん」でしかないから、留守番をしていた兄弟などがいれば、無理矢理「おみやげー」とか言って渡してしまうこともできる。食べかけのかっぱえびせんがお土産として受け入れられるかどうかの判断は難しいけれども、これで一段落するはずだ。
しかし、そう単純にいかないのが人間である。
この体験を通して「かっぱえびせん」は私にとってただのスナック菓子ではなくなっている。
それは「かっぱえびせん」がその時の様々な記憶を展開する「場」としての機能を担ってしまったからだ。
・・と、今日書こうと思ったことからかなり脱線しているな。
えー、
「K会のH.K君、例のデザインあと2、3日でできると思います!」
【日記の最新記事】






